“破滅”と“再生”の美学(真弓の雑記・はてな出張所)

だいたいいつも、アニメばかり観ています

【簡易更新】2013年春期は、ロボットアニメが熱い。 ~『革命機ヴァルヴレイヴ』『翠星のガルガンティア』『銀河機甲隊マジェスティックプリンス』放送開始後の雑感~

2013年も早いもので4月となり、また新しいアニメが大量に放送開始されました。
年度変わりの忙しい時期ではありますが、皆様は今期何を観てるんでしょうか?気になるところです。

さて、今春は新作のオリジナルロボットアニメが次々開始され、周辺でよく話題になっています。招集されたスタッフや広告戦略などの諸要素から、「気合の入った感じ」のする作品が複数あるようです。この状況は、幼少期からロボットアニメに慣れ親しんだ自分にとってとても嬉しいもの。

今期は、
『銀河機甲隊マジェスティックプリンス』(『MJP』)
『翠星のガルガンティア』(『ガルガン』)
『革命機ヴァルヴレイヴ』(『ヴァルブレ』)
を観始めました。
(「それだけ?!ダンボール戦機WARS』『トレインヒーロー』『ロボカーポリー』『爆獣合神ジグルハゼル』『鉄人28号ガオ!』も観てこそのロボアニオタだろ!」…という声がどこからか聞こえてきます。精進が足りずスミマセン…)

これら三作品は、Twitterにコメントを入れながらの“実況スタイル”で観賞していましたが、反響も大きかったように思います。Twitter以外のネットコミュニティ、あるいはアニメ愛好家界隈の新作談義においても、様々な感想、分析、議論が拡散されていること、想像に難くありません。

これまで目にした中で、個人的に注目している話題が二つあります。

①主人公がロボットに乗り込むまでのドラマがどう描かれていたか
 『ガルガン』『MJP』は、主人公が物語開始前から軍属であるので、(少なくとも序盤の段階で)気にする要素ではありませんでした。しかし、『ヴァルブレ』の場合は、第一話でハルト君がヴァルヴレイヴに乗り込み初戦闘をこなすまでの一連の流れについて、様々な見解を目にしました。

「どこかで見たような展開(お約束の段取り、パターンっぽい)」
「(想い人ショーコの消失を目にしたことと、ヴァルヴレイヴに乗って戦うことの)動機の結びつきが弱い」
「いきなり人殺しするし、ハルトは酷いヤツ」
「なんかガンダムっぽい(ギアスっぽい、etc…)」

思い出せるのはこの程度ですが、どれも興味深い意見です。何故かというと、これらの意見ひとつひとつから、視聴者各人が「ロボットアニメの導入部」について多種多様なイメージを持っていることが類推できるからです。
ロボットアニメを視聴してきた数の多い人ほど、この導入部の重要さに気づいている、だから一話でそこをどう描くかに敏感になっている、という傾向があるのかもしれません。
ロボットアニメに伝統芸能と呼べるほどの歴史の長さは無いかもしれませんが、大事なところの「型」「お約束」構造の是非について言及されている様は、なんだか、各種伝統芸能への言及に近いようものを感じ、不思議なものです。
「宇宙の人工惑星に住む何の変哲もない男子高校生が、ある日突然襲ってきた敵と戦うためロボットに乗り込む」…と単純化すると『機動戦士ガンダム』と『ヴァルヴレ』は共通しますが、似ているからこそ違いが際立ってくるものでもあります。ヒロイン、主人公が立て続けに“死ぬ”という導入は非常にショッキングで、この先にロボットアニメらしい更なる飛躍を期待させるものでした。


②ロボットに乗る少年が周りの人間にどう“見られているか”の問題と、作中に登場したニコニコ動画Twitter・LINEなどを想起させる画面上のコメント

  • 『MJP』第二話ラストの、ニコニコ動画(…的な動画配信サイト)で自分達の戦闘記録映像に流れるコメントを眺め、思うところアリな感じのイズル君
  • 『ガルガン』第一話ラストの、銃を持った群衆に囲まれ、チェインバーから彼らが“地球人”であることを教えられ、思うところアリな感じのレド君
  • 『ヴァルヴレ』第一話Bパートラストの、“英雄”ハルトを称賛する声がワイヤードを通じ氾濫している中で、思うところアリというか泣いちゃう感じのハルト君

これらの場面に何らか共通するものを感じました。
ちょっと、今は上手く言語化できませんが、これらのシーン、ロボットに乗り戦う子どもらが大衆からどのような目線を向けられているか、三作品それぞれの方向性を示唆しているシーンであるかのように観えました。


ここ最近は、女の子の日常生活を描く平和なアニメを観まくってたせいか、筆の進みが悪いような気がしました。どんどん人が死ぬような殺伐としたアニメを観まくって、リハビリに努めたいと思う所存です。
やはりロボットアニメは面白いです。