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“破滅”と“再生”の美学(真弓の雑記・はてな出張所)

だいたいいつも、アニメばかり観ています

【ネタバレ含】『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』視聴後感想(を、忘れないうちにできるだけ支離滅裂なまま書き留めよう)[要推敲]

先日劇場公開した『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』、観賞して参りました。この映画については、(わだかまりは残りつつも)快作だろうと肯定的に支持いたします。

■今年は声優さんがアニメキャラクターに女子力をいかにして吹き込んでいくかの過程への関心が例年以上に強かったが、今回の『叛逆の物語』版暁美ほむらを含め、CV:斎藤千和キャラには特に強い関心を寄せている。暁美ほむら(CV:斎藤千和)の溢れ出る女子力が観客を包み込んだ結果、映画への言及の多くをほむらちゃんの堕落についてのコメントが占めることになった。「ほむほむマジ悪魔」「クレイジーサイコレズ」「ホムラチャンの愛が重すぎた……」などのコメントが複数確認できた(調査対象はTwitter)。本当に恐ろしいほどの女子力よね。

■コンテンツを継続させていかなくてはならない状況で続編に取り掛かっていく中で、少しづつ視聴者の望むものからズレていったという意味では『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』に近いと感じた。ファン全員が手放しで肯定できる劇場版にはなっていない。"オワコン化"を防ぐためにラストを賛否両論のまま置いておき視聴者の妄想・二次創作意欲を煽るという手法は、もちろんアリなんだけど、弊害も予測できるし、制作側にとってもギャンブル性の高い"次の一手"だったのでは。



■ツイートでは「一粒で三度」としたが「一粒で四度」と考えてもよいのではないか。
例えば『叛逆の物語』をパートで大雑把に分けて短観もつけてみる。


①:キュウべえに囚われたほむらの魔女結界が創りあげた架空の見滝原で、レギュラーの五人が協力して魔獣退治に挑むパート。TV版では実現しなかった勢揃いでの変身、戦闘、そして日常生活などが明るく描かれる。このようなシチュエーションを夢見ていた人にはたまらないと思う。自分も凄く楽しかったし、シャフト版プリキュアという趣もあった。以降は本来のまどマギ色が濃くなってくるので、『叛逆の物語』を爽やかに味わうならこのパートだけ視聴してDVDを停止するという視聴スタイルが奨められる。まぁ、ちょっと長い『学園エヴァ』でもあるかなぁ。


②:違和感に不審を募らせたほむらが調査を開始し、杏子との探索、マミとの戦闘、さやかとの対峙を経て、ベベの人間態出現やキュウべえとの接触、そして今いる世界は魔女化する寸前のほむらが見ている夢だと気づくまでのパート。杏子と二人バスで彷徨うシークエンスは某アニメ映画のオマージュ満載だと指摘したい(後述)。マミとの戦闘は中盤の見せ場で、作画カロリーが非常に高くキレがよかった。人間態ベベの印象あんまない……。


③(②と併合でもよい?):さやあん!さやあん!さやあん!恋人つなぎだ!……あっ、失礼、興奮しまみた。魔女化したほむらを救うために立ち上がるまどか・マミ・さやか・杏子・ベベチームの活躍と、ほむらが救済される寸前までのパート。通常の映画ならクライマックスに置かれてもおかしくない熱い展開だけど、この後があまりに衝撃的だし、個人的にも意外と記憶の抜け落ちがあるパート。ぐぬぬ……[要加筆]


④:ほむらの堕落と彼女による世界再編後までを描くラストのパート。ほむらについて詳しくは後述。決定的に彼女のパーソナルなドラマになってしまっているという印象は強く、彼女について以外は、パッと言及できない(申し訳ございません)。みんな闇の中に飲まれてしまったので 富野厨なので、「特定のキャラクターに寄り過ぎてシリーズを終わらせるというものになっていない終わり」という意味では、『機動戦士Vガンダム』のカテジナエンドだなぁと思ってしまい、よくない。


アルティメットまどかを取り込んでしまったほむらは、彼女に向けている想いをはっきり""だと言い切る。肥大化し過ぎた愛はほむら自身と世界を作り変え、自ら「さしずめ悪魔というところかしら(※要確認)」とまで言わしめるアルティメットほむら(デビほむ)への"変身"を遂げる。これはしかし「まどかを救うための時間遡行」を繰り返したことによりここまで愛が大きくなった、因果の集積は救う対象であるまどかだけでなく、救おうとした行為者であるほむらにも起こっていたのだと想像すると、この"変身"にも一応の納得ができる。受け容れることにかなりの抵抗はあるが、これも彼女なりの成長なのかもしれない。いづれにせよヤンデレアニメヒロイン史に残る活躍を見せてくれた。自分は女性観が狂っているので、デビほむに対しては、「おっ!なんかほむほむ魅力的になったね!」と劇場内で声かけしてしまった。悪堕ちほむほむ、一定層の需要を開拓するキャラクターに仕上がったのではないか。だが、最後の受け止める相手がいないひとりルミナス(→からの転落)は、哀愁があった。

■酷な言い方をすると同性愛にはある種の生産性がない(通常の性交渉ではこどもが作れなくて遺伝子、代、血筋が残せない)から、作品を終わらせるギミックとして"同性愛エンド"は機能しにくいものと認識されるものだ(マジョリティにとって受け容れ難さがある?)と仮定する。例えば渚カヲル君は碇シンジ君とは何度世界を繰り返しても結ばれず死ななければならない宿命にある(テレビシリーズでもQでも、ダメだったよ……)。まどかを籠絡したデビほむも彼の宿命に倣っても不思議ではない?その視点からすると、ほむらの性的指向に対しての批判が働くような続編は、今後制作されたとしてもある程度納得できる。


<<以下雑記>>

■前半の五人変身シーンは劇伴が高梨康治さん楽曲みたいだった。梶浦由記さんも女性コーラスは多用するが、この時は控えられてたので、もしや似すぎないよう意識したのかな?と推測。一人ずつテーマの違う変身動作のは東映的でもある(シルエット演出はセラムンからの系譜と感じられる)。変身中ダンスのテーマは、マミさん:フィギュア、杏子:フラメンコ、さやか:ヒップホップ系、まどか:パラパラ?アイドル系?、ほむら:バレエ、と考えられるけどもう一度確認したい。

■『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』に酷似していたのは、ほむらと杏子がさまよう一連のシークエンス。まずほむらが杏子を見滝原の外へ出てみようと誘う会話のシーン。密室に二人きりで、テーブルをはさみ日常の不審点について議論するというシチュエーションは、うる星BDでいうところのサクラ先生と温泉マークの会話シーン。ハレーションで窓から外の景色が見えないカットのオマージュがあった気がする(要確認)。こじつけるなら、上空の不審な飛行船群も押井作品のモチーフ(劇場版パト2スカイ・クロラ?など)として使用されているもの。その後、バスに乗り脱出を試みるも街の外に出られない二人。これも学園祭前日の友引町から出られないうる星レギュラーキャラ達の様子とも重なった。

■キュウべえが喋れるくせに中盤までかわいい動物を演じていて呆れ果てたが、CV:加藤英美里なので許した。

■「違和感を感じなかったの!?」という台詞が複数回。中学生らしい語彙ではある。わざと残した?

■「マミさん(CV:水橋かおり)は独身のアラサーOLで、彼氏は全然できないけど、ペットに愛情を注ぎ、おいしい紅茶やケーキを探求し、後輩をたびたび家に誘いお茶会で日々楽しく暮らしているのだ。」……それ以上やめたげてよぉ!!と自分をセーブしなければならない。でもそう見えちゃうものは仕方がない。きっとマミさんはまどか達後輩を部屋に招いて『マジカル頭脳パワー!!』放映当時の録画VHSを繰り返し見せたに違いない。だから序盤のナイトメア退治の時マジカルバナナを全員が覚えていたんだ……そうに違いない……(そういえばほむらとのガン=カタ中にνガンダムのバズーカ撃ちを真似ているシーンがあったかもしれない)

■TVシリーズとは違い制服姿で活躍する佐倉杏子さん。見滝原の制服というとスカートなので、それを穿いたままアクションするにあたり避けて通れないアレの問題があったが、結局アレは確認できず、個人的にはアレのアレには充足感の不足があったと告白せねばなりませんね……

■出たァ~!杏子さんの出崎投げだ!!パンフ買い忘れて監督インタビュー読めてないけど、また「杏子は出崎キャラ」言及があったそうな。

まど神レイプ!魔獣と化したほむら先輩

■『コゼットの肖像』に繋がる部分は幾つか。例えばEDアニメーション担当の鈴木博文さんは、『コゼット』でメインキャラクターデザインを務めていた。また『コゼット』に登場するマルチェロ・オルランドというキャラは、愛が高じすぎてコゼットをナイフで刺殺してしまう画家でいわゆるヤンデレだった。新房監督の中の引き出しから出てきた要素が込められていたかもしれない(虚淵色だけでなく新房色も抽出しないと不足するかもしれない)。なので今後の研究課題として頭に留めておこう。

最後に。一部では「サイコレズ」呼ばわりされている暁美ほむらですが、本当にそれほど理解し難いキャラクターでしょうか。その人を救いたいがため何度でも何度でも何度でも時間を繰り返し苦難に耐えること、そして悪魔になってしまうほどその人を愛するということ、そんなことができてしまう彼女は、ある意味羨ましいと思えませんか?